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台湾あれこれ、時々パン。

台湾のことを知るための、気になる記事を翻訳しています。

パン職人・呉宝春が母から教わったこと

※本記事は、掲載元《民報》より翻訳及び転載の許可を得た上で投稿しています。
 原文:媽媽教吳寶春的事:做人不要怨天尤人! | 民報 Taiwan People News(文:楊惠君、2016.5.6)

 

パン職人・呉宝春が母から教わったこと

 

どんな成功者にも、陰で支えてくれる力強い存在がいる。そこには女性の、とりわけ母の姿があることが大半だ。パン職人の呉宝春(ウー・バオチュン)にとって、人生に立ち向かい、努力する先にある願いはただ一つ「母の誇りになる」ことだ。

 

呉宝春の店はパン屋なのに、どうしてパイナップルケーキを売っているのかと不思議に思う人も多いだろう。その商品名も「無嫌パイナップルケーキ」という、パンとは何の関係もなさそうな名前だ。「まさか、しょっぱいパイナップルケーキってことですか?(中国語で「嫌」という漢字と「しょっぱい」を意味する「鹹」という漢字が同じ発音であるため)」と知らずにたずねる人もいる。実はその由来は、生活が非常に苦しかった時期、呉宝春の心に沁み込んだかけがえのない“やさしさ”にある。そこには、彼の母親であり、パイナップル農婦として苦労を重ね働きとおした陳無嫌さんの “前向きに人生を受け入れる”という生き方が込められている。

 

 

総統府前をうろつくサンダル姿の浮浪者が
総統府へ招かれるまで

 

先日、呉宝春と弟子の謝忠祐が民報文化講堂で対談を行った際、呉はこう語った。「母さんは人生について大袈裟な道理を説くようなことはありませんでしたが、たった一つだけ教えてくれたことがあります。それは『不満を他人のせいにしちゃいけない』ということでした。この言葉をずっと心に刻んで生きてきて、どんなに苦しくて、どんなに落ち込んでいる時でも、屁理屈をこねたり、誰かのせいにするようなことはしませんでした。一歩一歩着実に進んでいけばいいんだと。若い同僚たちとこういう話をすることもあります。」

 

17歳で屏東から台北に出てパン職人に弟子入りした頃は、体重がまだ50キロもなかった。小柄な呉宝春には毎日途方もない数の仕事があり、夜は工場内の狭い屋根裏部屋に寝泊まりし、休みは一か月に二日しかなかった。財布の中身は空っぽで屏東へ帰る時間もなく、気晴らしをするだけのお金もなかった。とはいえ、悶々とした工場の中であぶらぎった臭いをかいでいるのも嫌だった。

 

安いサンダルを履いて、中正紀念堂広場(現在の「自由広場」)の前の塀の辺りまであてもなく歩き、空や、人や、鳥を眺める。これが呉宝春少年にとって唯一の楽しみだった。ある時はぶらぶらするうちに総統府の前までたどりつき、博愛特区のいかめしい警備員に目をつけられ、“だらしない身なり”の少年は威嚇され追い払われた。

 

「パンを作って賞をもらい、総統の客人として総統府の中に入る日がくるとは、思ってもいませんでした」2008年にはベーカリー・ワールドカップ団体の部で二位を獲得し、馬英九総統に謁見した。総統府に足を踏み入れたその時のことを、呉宝春は「あの頃サンダルを履いて、外をうろついていた17歳の自分の姿がすぐさま脳裏に浮かびました」と語る。

 

 

受賞パンを生み出した、
故郷の母との思い出の香り

 

故郷の家を出てから奮闘すること早二十年、呉宝春が歯を食いしばってでも前に進むことができたのは、母がくれた力に報いたいという思いがあったからこそだ。

 

当時、呉宝春が連休をとって里帰りすると、貧しいながらも母はおいしいものを特別に準備して彼の帰りを待っていた。ある時、事前に連絡せず家に帰ると、食卓の上にはただ「パイナップルの塩漬け(醃鳳梨)」があるだけだった。そこで初めて、母が一人でどんな生活をしていたかということ、その苦労を今まで何一つ漏らさず、子どもたちを笑顔で迎えていたのだということを知った。

 

ベーカリー・ワールドカップ世界大会(2008年)への出場資格を懸けた2006年のアジア大会への出場を前に、母がこの世を去った。呉宝春はスランプに陥り、コンクールの課題「自国の特色を生かしたパン」についてインスピレーションが湧かず煮詰まっていた。ある日、大武山のふもとにある地元へ帰り、故郷の地を歩いていたところ、ふいに馴染み深い香りがしたのだった。「あれは毎年冬至になると母さんが食べさせてくれたリュウガンのおかゆ(桂圓糯米粥:乾燥させたリュウガンの実を使ったおかゆ)の香りでした。急にアッと閃いて、母さんのためにリュウガンのパンを作ろう!と思ったのです。」

 

これこそ、彼が初めて世界で名を上げ、のちにワールドカップで準優勝することになる「リュウガンと赤ワインのパン(酒釀桂圓麵包)」の原点である。天国の母が導いてくれたものだと、呉宝春は信じている。「アジアカップ当日は、ちょうど母の日だったんですよ!」

 

 

母の名で基金会を設立、
パイナップルケーキで社会貢献を

 

しかし、彼の名が世間に知れ渡るその時を、母と分かち合うことはできなかった。2010年、いよいよ個人の部で優勝を果たすと、呉宝春ベーカリーを開業し、翌年には母の名前をとった「陳無嫌基金会」を設立。店で売られている「陳無嫌パイナップルケーキ」は、パイナップル農家として働いた母に捧げられたものであると同時に、この商品の収益はすべて基金会に寄付され、地方の子どもたちの学習や就業を援助するために用いられる。

 

民報文化講堂で開催されたイベントには、パン作りの仕事に強い関心を持つ子どもたちが各地からやってきて呉宝春と謝忠祐の講座を聴講した。子どもを連れてやってきた父や母の姿も少なくなかった。

 

そこで、我が子を思う一人の母親が質問を投げかけた。「うちの子はパン作りが大好きなんですが、今後、台湾の市場は飽和してしまうんじゃないでしょうか?」

 

呉宝春はこう答えた。「市場が飽和するかどうか?もう飽和状態ですよ。どんな分野でも、自分の業界は飽和状態にあると考えるでしょう。ただし、だからといって、その中で自分の市場を作り出せないわけじゃないでしょう?お父さん、お母さんたちがお子さんの手を放してあげれば、彼らは努力して、最終的に壁にぶつかって、躓いて倒れたとしても、起き上がって、また羽ばたいていきます。やる前から引き止めていては、一生飛ぶことはできませんよ。」

 

母の力とは、繋ぎとめるのではなく、手を放してあげること。自ら手本となり、見守ってあげること。幾度となく壁にぶつかり、躓くことを経験して今のように青空を高く飛ぶ呉宝春が、母の姿から導き出した道理がここにある。

 

呉宝春ベーカリー(吳寶春麥方店)公式サイト

http://www.wupaochun.com/

 

 

【訳者メモ】

このブログ、タイトルに「パン」が盛り込まれているからにはパンの話をせずにはおれぬ!と思っていたところ(ただパンが好きなだけ)、ちょうどこの記事を見つけたので紹介してみました。

受賞したリュウガンのパンをぜひとも食べてみたい!と思い立ち、台北のお店を訪れたのは2014年春のこと。一つ分が人の顔よりも大きくて、とんでもじゃないけど一人じゃ食べきれない…と諦めてタロイモのあんパンを買って帰った覚えがあります。(もちろん美味でした!)

台湾へ旅行に行くと、必ずと言っていいほどお土産に買って帰るのがパイナップルケーキ。今ではブルーベリーやクランベリーを入れたもの、生地に鉄観音茶を練り込んだものなど、種類がありすぎて選ぶのにも一苦労だ。呉宝春のパイナップルケーキも頂いたことがあるが、丸くてコロンとした形に、甘すぎなくてポイポイ食べれちゃう癖のないお味でございました。

昨年、台湾の友人が日本に遊びにくる時に「お土産なにがいい?」と聞かれたので、思い切ってリュウガンのパンをリクエスト。あんなでかいパンをわざわざ台北から持ってこさせたことを反省しつつ、惜しげもなくかぶりついた。乾燥されたリュウガンがふんだんに練り込まれていて、口いっぱいに香りが広がる広がる。食感は大きいレーズンという感じ。香りが独特なので、苦手な人もいるかも。

ちなみにこちらのサイトで記事になっていた。

rocketnews24.com

日本へも配送してくれるみたい。