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台湾もぐもぐ

台湾のことを知ってより深く味わうための、気になる記事を翻訳しています。

失ったものはあまりにも多く、もはや土地は戻らない

掲載元報導者 The Reporter 
原文:我們失去太多,挽救不回來的是土地——部落青年看原住民傳統領域(文:王立柔/写真:余志偉、2017.3.28)

 

失ったものはあまりにも多く、
もはや土地は戻らない
―原住民部落の青年から見た台湾原住民の伝統領域

 

原住民委員会が公布した「原住民族の土地の区画に関する規定」において、原住民の「伝統領域」から「私有地」が除外されたことに対して抗議するため、原住民グループはすでに一ヵ月余りの間、総統府前で野宿も辞さず反対を訴えている。目下の法的な争議はひとまず脇に置いて、台湾東部の部落へと視点を移そう。多くの部落青年たちが「伝統領域」を知る過程には、彼ら自身のルーツを探る旅があった。そして青年だった彼らが中年を迎えた今も、自分探しの足跡は人生に深く影響を与え、原住民の土地の保存のため、土地そのもののために奮闘し続ける彼らを支えている。

 

 

台湾原住民の「伝統領域」に関する争議とは?

 

台湾原住民の「伝統領域」とは、原住民にとってゆかりのある生活領域を指す。そこには部落の所在地、農耕地、狩猟場、漁場、聖地等、さらに海域や河川も含まれる。しかし百年にわたる外来政権の進入とともに、これらの土地は度重なる略奪を受けた。

今年2月14日、行政院の原住民委員会は「原住民族の土地の区画に関する規定(原住民族の土地の区画に関する規定)」(以下、「区画規定」)を公布。一見すると、原住民が土地に対する権利を主張するための道筋が示されたかのようだが、実際のところは、「伝統領域」の区画規則から「私有地」は除外されたままだ。多数の原住民はこれを受け入れられず、2月23日から総統府前で座り込み、抗議を行い、すでに一ヵ月余りが経過している。

原住民と漢人との土地に対する考え方は違う。「伝統領域」の概念は「所有権」とは異なる。今、仮に市民または企業の私有地が原住民の伝統領域に含まれることになっても、その所有権は変わらない。

カイザー通り(総統府に繋がる大通り)の原住民グループが訴えているのは、伝統領域で商業目的の大規模な開発を行う際、たとえば大きなホテルを建てたり、鉱山資源を採掘したりするといった場合に、ただ部落に事情を伝えて、同意を求めてほしいということだ。

実は以前から、台湾には「話し合いによる原住民部落の同意及び参与の取得に関する規定(諮商取得原住民族部落同意參與辦法)」というものが存在していたが、それは母法「原住民族基本法」第21条に基づく「原住民の土地または部落及び周辺の一定範囲内にある『公用地』」を対象としている。そして今回登場した「区画規定」においても、私有地と伝統領域の概念とは相容れないとされている。つまり、ある私有地が実は原住民の伝統領域の範囲にあったとしても、法律上は伝統領域/原住民の土地と見なされないことを意味する。したがって、原住民がその土地の開発案に対して詳細を知り同意を下す権利を主張することは未だに難しい。

これまでに、東海岸のアミの人々が長年の抗争を経て、ようやく行政院が環境アセスメントを撤回するという形で悪名高い美麗湾リゾート村開発案を退けた、という事例がある。にもかかわらず、現在も孤立無援の立場に置かれ、杉原棕櫚リゾート村、黄金海レジャーリゾート村等の開発案がいつ進んでもおかしくない状況にある。

もし「区画規定」がこのまま変わりなければ、原住民の生活空間を圧迫し続ける可能性があるだけでなく、土地の喪失とともに文化的な意義までも失われるかもしれない……

 

 

 カワンとシンシンたち

 

「当時、クメン(アルファベット表記:Kumen/漢字名:余忠国)という人が、伝統領域は私たちのもの、取り戻さなければ、と言っていました。彼はずっと訴えていたものの、皆にはその感覚がなかったのです。それが自分たちのもので、部落が使っている土地なのだと、若い世代に実感してもらうためにはどうすればいいでしょうか?私自身も自分が使用している土地のことしか分かりません。1キロ以上離れたところまで狩りに出て、イノシシを担いで帰るような技術もありません。一つ上の世代なら足をのばしていた場所でも、私たちには身近に感じることができないのです。」

 

こう話すのは今年で44歳になるカワン(アルファベット表記:Cawan/漢字名:鄭智文)だ。台東県東河郷のアミの人々が住む都蘭(ドゥーラン)部落に生まれ育ち、故郷を離れて大学に進学、就職し、ここ数年でまた部落に戻って生活を始めた。話の中に登場するクメンも都蘭部落で育ったアミの仲間。2001年、都蘭部落は「都蘭鼻BOT(民間資金等活用事業)開発案」に抗議するために伝統領域の調査を自主的に始めた。その際、クメンは熱心に身を投じ、より多くの仲間に参加を呼び掛けた。

 

当時のカワンはそこまで深く共感しなかったが、クメンの理念はカワンの心に種を植え付けた。そして原住民の問題がますます注目されるようになった2000年代のムードの中で、その種が徐々に芽生えはじめたのだった。

 

「部落では話し合いをするようになり、年長者たちも、どうしてこんなにも昔と変わってしまったのか?と嘆きました。そして、若者が戻り、昔のように働き、少なくとも文化を伝承する役目を引き継がせることができればと願っていました。その折に私は、必ず故郷に帰らなければと考えるようになったのです。それからは、ここを自分の場所だと意識するようになってきました。」

 

カワンは自身の力を役立てようと決意した。コンピュータ技術に通じていた彼は、都蘭部落の伝統領域の地図を電子化することに協力、さらに思い付きで地図を拡大出力し、豊年祭の会場に掛けた。これが予想外の反応を招き、場が一瞬で高揚感に包まれると、とりわけ老人は地図上のある部分を指して声を上げた。「そうそう、まさにここだよ!昔はよくあそこで狩りをしたんだ。今では行けなくなってしまったが……」。

 

アミは海の民だ。数世代前から頻繁に山に登ることはなくなったが、海についてはほとんど誰もが詳しい。アミの男性にとって海は冷蔵庫のようなもの。魚を食べたければ自分で海に入り何匹か捕まえて帰ってくる。それはとてもシンプルで、自然なことだ。

 

だが近年では、アミの仲間が海辺で魚を捕まえている時に、海岸巡防署の巡回員に連れていかれて取り調べを受け、「水域レジャー活動管理規定(水域遊憩活動管理辦法)」違反であると指摘されることが度々起こっている。アミの豊年祭会場を見つけることもますます難しくなってきている。海岸を自由に使用できなくなりつつある今、伝統的な儀式を行うことも難しく、海上で活動する業者が設置した柵のために、普段は思うように潜水をすることさえもできない。

 

原住民の活動範囲が次第に制限され、生活方式の転換を余儀なくされると、原住民の権利や利益が直接的に脅かされるだけでなく、間接的には文化が失われてしまう。なぜなら、土地の始まりは人の始まりでもあるからだ。原住民文化において地名は、仲間が漁や狩りで方向を見失わないよう、地元の資源、土地の様子、地形を認識するために用いられてきた。祖先が暮らしの中に残してくれた知恵の結晶とも言える。

 

都蘭部落南部にある刺桐(ツートン)部落の一員であるシンシン(アルファベット表記:Sinsing/漢字名:林淑玲)はこう説明する。「アミの人々は昼間だけでなく夜も海に行きます。昔は懐中電灯がなく、月の光を頼りにしていました。けれど潜れば方角が分からなくなるから、その時は岩がどこにあるかを見て判断します。Googleを使うこともできませんしね。海底に何があり、位置はどこなのか?岩を見分けることができなければ、身を守ることも無事に帰ることもできないのです。」

 

シンシンは堂々とした様子で、土地に関する様々な事柄を丁寧に話す。貝類がよく捕れるのは海底の何時の方角で、どの海藻がどこでよく捕れるか等。しかし、カワン同様、ここ数十年の部落の生活形態に影響され、幼少期に年長者が話してくれた物語を覚えてはいるものの、そこから現実の生活環境を連想できるとは限らない。現在のようにたくさんの知識を得ることができたのも、伝統領域の地図製作に協力するにあたって再度、調査をしたからだった。

 

たとえば、カワンは地図製作の経験をこう語る。「小さい頃に祖父がよく話してくれたことと繋げてみると、馴染みのなかった地名についても、もっと理解したいとだんだん思うようになり、山林の変化を見に行ってみたくなりました。」 

 

シンシンが参加した伝統領域の調査作業は、主に刺桐部落とさらに南方の加路蘭(ジャールーラン)部落に関するもの。「年配の人たちの証言からは、以前、ここは実際に皆の活動範囲で、この場所で耕作をして、何かを使って竹を割ったり、茅葺き屋根をかけたりして、海ではどの岩にどんなウニや貝がいたのかといったことが聞けますよ……とても生き生きとした描写で、そこで生活してこそ知りうること、つまり伝統領域のことを教えてくれます。彼らにとって採集や漁をした場所は印象深いんです。誰かがそこで転んだという話が伝わって広まったそうで、そのために地名が変わったこともあるそう。ここにはたくさんの暮らしの物語があります。」 

 

「(開発案に関して)部落の同意を得る必要がある理由も、道理もそこにあります。外部の人間では、ここで過去に何があったのか、或いは何かを建てるために適した場所であるのかどうかということは、絶対に分からない。よそ者が土地を買っても、ここで起きたことについて地元の人間よりも詳しいなんてことはありません。」

 

シンシンがこう語る時、そこには理屈だけでなく、強い感情が込められている。一度は沈痛な面持ちでこう話した。「この十年間に私たちが失ったものはあまりに多いです。けれど、とりわけこの土地というものは、どう手を尽くしても返ってはこないのです。」伝統領域の調査に深く関わるきっかけとなったのは、2003年に始まった美麗湾リゾート村反対運動だった。

 

当時、誰もが「ここは私たちの伝統領域だ」と言っていたが、伝統領域とは結局どこからどこまでなのかと、疑問に思っていたのだと彼女は振り返る。加えて、部落がエコツーリズムを開催し始めたことで、部落のこれまでのことを説明する必要が出てきて、彼女にきっかけを与えた。「ルーツを探り、尋ねに行くことになりました……部落の古株や、他の年長者も同じような物語を話してくれる時には、まさにこんな風にして伝えられてきたのだと思い知ったのです。だから、ここが伝統領域なのかと問われれば、その通りだと答えます。」

 

長年、彼女は数多くの年配の人びとの口述を整理し、彼らが話す場所へ実際に足を運んできた。今では部落について、若い頃よりも深く、詳しく理解している。筆者たちを車に乗せて伝統領域の一帯を通る際、山の斜面にある土地を指さしながら百年前にどう使われていたのかを紹介してくれ、或いはたくさんの地名について、すらすらと説明してくれた。

 

話を聞きながら筆者は、こうしている間にも、彼女の文化がいくらか広められ、伝えられているのだろうと考えた。伝統領域の調査において、結果が重要であるだけでなく、その過程で多くの意義が生じているのかもしれない。また、それは権益を取り戻すための政府に対する訴えにとどまらず、原住民たち自身の文化復興運動でもあるのかもしれない。カワンにしてもシンシンにしても、自分たちの土地で、自分たちの文化について語る時、彼らの言葉は凛として揺るがない。